最初に熊本震災で被害にあわれている方々に心よりお見舞い申し上げるとともに、犠牲になられた皆様、ご家族の方にお悔やみ申し上げます。

前回の九州旅行 長崎編の続きになります。

湯布院温泉 花由

長崎で軍艦島を見た後2日目の宿である湯布院へ移動、湯布院へは温泉に入る為だけに行きます、本当は別府温泉の地獄めぐりやらしたかったのですが疲れが出たのでゆっくり宿で休養をとることにしました。泊まった宿は朝霧の見える宿 由布院温泉 花由(はなよし) 「ゆめの里」になります。ロビーからは由布岳が一望でき時期にもよりますが朝霧が綺麗に見えるとのことです、もちろん朝霧も目的の一つでしたが調べた所4月に朝霧が出る確率はかなり低いとの事、、、残念でした。泊まる宿は離れで平屋の戸建に泊まる感じで部屋の中は広くとても綺麗でなんといっても専用のかけ流し温泉が付いているのです、眼下には由布岳の雄大な景色を眺め少し肌寒い中で入る温かい露天風呂、最高です!もう何回も入りましたよ(笑)、食事や接客も今まで止まった旅館とは別格ですね~リピート率が高い理由がわかります。

今回はあまり良い天気ではなかったので花由さんHPの画像を拝借、タイミングが良ければこのような景色が見られます。
湯布院温泉 花由湯布院温泉 花由2

 

鍋ヶ滝と高千穂峡

3日目は湯布院温泉 花由を後にし熊本県鍋ヶ滝へ、この滝は表の滝も綺麗なのですが裏から滝を撮る事ができる貴重な滝です、その光景は薄いレースのカーテンを思わせるなんとも幻想的な写真になります。某お茶のCMで起用されて全国的に有名になったようです。入園料を払い階段を下りていくと滝の音が耳に聞こえます、歩く事10分ほどでしょうか高さ9m横幅20mほどの小ぶりな滝ですが近くまで行くと豪快な水の流れに圧倒されます。滝つぼの中に一匹の白い鯉が泳いでいました、この滝の主でしょうか?優雅に泳いでいました石の上に立つと近づいてきます餌付けされているのかな?こちらが鍋ヶ滝の写真になります、表右側からの写真→右側真横からの写真→裏からの写真→表左側からの写真と続きます。

鍋ヶ滝

鍋ヶ滝2

鍋ヶ滝

鍋ヶ滝

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阿蘇の焼野原と高千穂峡

鍋ヶ滝を見た後高千穂峡へ移動、移動距離が長かったが平日だったこともあり渋滞は皆無ですいすい移動できた、212号線を走っていると右側に阿蘇独特の地形が見えてくる外輪壁が続く大地は日本の物とは思えない、世界でも有数のカルデラ地形は圧巻である。ここを通過するだけで終わってしまうのがもったいない気持ちでいっぱいだった、212号線から265号線へと切り替わり高千穂を目指す、265号線は根子岳の麓を通る事になる、根子岳に近づくとなにやら焼野原の景観へと変わる、最初これは阿蘇が噴火して焼野原になったんだと思っていたのです(笑)牛がのんきに放牧されているのが不思議だったんですよね~、これは牧草の種をまく前にやる恒例行事で野焼きの後だったことを帰ってきてから知りました、、、お恥ずかしい。阿蘇山の噴火怖い!と思いながら急いで高千穂に向かった事を思い出しました。写真の中央に見えるのが阿蘇山かと思われる。
根子岳と野焼高千穂峡は多くの観光客で賑わっており目的の滝を撮るのにボートが途切れる時を待ったんですが途切れることはありませんでした、観光名所の一番良いスポットで長い時間三脚を開いている事も悪いので残念ですが妥協せざるおえませんでした、フィルターが使える24㎜-70㎜のレンズでは自分が意図した写真が撮れなかったことも妥協した理由になりました、全レンズでフィルターを揃えるとお金がかかりますが良い写真を撮るにはそれなりの出費が必要になりますね、、、財布と相談しながら揃えたいと思います。
高千穂峡

高千穂峡

通潤橋と御輿来海岸(おこしきかいがん)

高千穂峡を後にし次に目指すは今回の旅行のメインイベント御輿来海岸の夕景です、この御輿来海岸は何が有名かといいますと、干潮の時に姿を表す干潟が有名なんですね、しかもその干潮の時と夕日が沈む時間が重なる時が1年間でわずか十数日しかありません、その十数日の中で天気が良くて夕日が見れる確率はもっと低くなります、たぶん1年間で数日かと思います。今回の旅行の日程もこの御輿来海岸の撮影に合わせたスケジュールで組みました、なので夕日に間に合わなかったら洒落になりません。高千穂で時間が取れなかった理由がこれで時間に余裕をもたせる為に早めに向かいました、途中トイレ休憩で立ち寄った場所が通潤橋だったことは想定外の出来事、この通潤橋は水の便が悪く水不足に悩んでいた白糸台地に住む民衆を救うため、江戸時代、時の惣庄屋「布田保之助(ふたやすのすけ)」が、1854年に”肥後の石工”たちの持つ技術を用いて建設した石橋の事で現代では放水は通水管に詰まった堆積物を取り除くために行なわれています、放水は土日の1時にされるようで今回は平日だったので放水はありませんでした。通潤橋

通潤橋

実際に放水された写真はこちら

通潤橋

出典:山都町観光ナビ

通潤橋を見た後は218号線へ戻りひたすら海岸へ向けて走ります、通潤橋からの御輿来海岸の距離は60Kmほど時間にして1時間半くらいですね。御輿来海岸は全国からのカメラマンが訪れるとのことで多い時で300人ほどになるとか、、、だいたい海岸付近についたのが4時半くらいだったでしょうか、御輿来海岸の撮影場所にも駐車場があるのですがすでに満車であることを想定して市民グランドの駐車場に車を停めて歩く事にしました、だいたい15分~20分ほど歩くと着きます、これが坂道なので結構辛い。撮影場所に着くと人の数が凄い、三脚を構える人がこれほどいる光景は初めてで海岸の干潟よりも人の数に驚いた、なんとか空いている場所を見つけセッティングすると常連の方と思われる方からそこだと夕日が気の陰に隠れるかもよとアドバイスいただく、、、良い場所だっただけに悔やまれた、撮影場所は段々畑のような地形になっており良い場所はすでに占領されていて下の段の端っこにセットすることにした干潟の面積は少なくなるが夕日と対岸の雲仙普賢岳が構図に入る納得の場所にセットすることができた。肝心の夕日は雲がある中でもなんとか見えていた日の入りの時間は6時45分それまで数分おきぐらいにシャッターを切った、もう二度と来れない場所になるかもしれない後悔したくないので日の入り前でも数分おきにシャッターを切り続けた。日の入りの少し前に雲に隠れてしまい真っ赤に燃える夕日の鮮やかな色は出なかったかが隠れるまでに撮れた輝きの一番大きい一枚を紹介します。
御輿来海岸

因みに前列のカメラマンが入るとこんな感じです、みなさん良い写真が撮れたかな?
IMG_0854

熊本城 まさか大震災で崩れる事になろうとは

4日目の最終日は熊本から福岡空港に戻り仙台へ帰るスケジュール、帰る前に熊本城を見て行きます、まさかこの時見た熊本城があんなことになるなんて、、、

熊本城へは震災の2日前の12日に訪れました、自称歴女の嫁の影響もあり最近城歩きが楽しくなってきた私ですが熊本城の大きさには驚きました。

熊本城とは

熊本城(くまもとじょう)は、現在の熊本県熊本市中央区に築かれた安土桃山時代から江戸時代の日本の城。別名「銀杏城(ぎんなんじょう)」。

加藤清正が中世城郭を取り込み改築した平山城で、加藤氏改易後の江戸時代の大半は熊本藩細川家の居城。明治の西南戦争の戦場となった。西南戦争の直前に大小天守や御殿など本丸の建築群が焼失し、現在の天守は1960年の再建である。現存する宇土櫓などの櫓・城門・塀13棟は国の重要文化財に指定されている。また、城跡は「熊本城跡」として国の特別史跡に指定されている。

清正は特に石垣造りを得意とし、熊本城では、始め緩やかな勾配のものが上部に行くにしたがって垂直に近くなる「武者返し」と呼ばれる形状の石垣を多用している。熊本城で使用されている武者返しは慶長の役の際に朝鮮に築かれ、難攻不落と呼ばれた蔚山倭城(うるさんわじょう)に使用した築城技術を元にしたものである。

先に紹介した通潤橋は、江戸時代末期にこの熊本城の武者返しの石垣をモデルに架けられたらしいです。

出典:wikipedia

熊本城

熊本城

熊本城


熊本城

熊本城

熊本城

熊本城

熊本城

熊本城

熊本城

熊本城

熊本城

熊本城

熊本城

熊本城

熊本城

熊本城

現在崩れてしまった熊本城を多めに写真アップしてみました、復元は大変厳しい状況かもしれませんがいつの日か元通りになることを祈り記事を書いています。今回の九州旅行で訪れた場所はすべて震災で被害にあっています、あと二日早く地震が起こっていたら今ニュースで流れている場所に自分がいると思うと怖くて仕方ありません、運よく助かった身として微力ながらお世話になった九州のみなさんに恩返しができたらと思っています。

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