宮城の城跡で有名な利府城址と岩切城址へ桜の撮影に行ってきました。どちらも場所が近いので桜の開花もほぼ一緒です。花見のシーズンは多くの人で賑わいます。
宮城の城跡 利府城址の桜
【場所】 宮城県宮城郡利府町利府字城内77
【別名】 村岡城
【築城主】鎌倉時代に村岡氏により築城
【歴史】 1567年、村岡氏の反発により利府城は落城し村岡氏は滅亡。利府城を攻略した留守政景が改修。岩切城から移り、利府城には20年ほど居城しました。1590年、豊臣秀吉の小田原合戦に参戦しなかったことにより、奥羽仕置として領地を没収され利府城は廃城しました。
【説明】現在は館山公園として整備され、年中利用できる公園になっています。
春は桜の名所でもあり、4月上旬~下旬は23時までライトアップしています。最近は、公園の駐車場が4台しかなかったため、24台分増設されました。
夜景
桜の名所で有名ですが実は夜景も綺麗なスポットです!こちらが夜景の写真
※写真は昨年12月頃に撮影したものです。
利府城跡の夜景は、仙台市が見えるほか、利府と岩切を渡る高速道路が見えます。桜の時期はライトアップもされているので、夜景と夜桜の風景も楽しめます。
宮城の城跡 岩切城址の桜
【場所】〒983-0821 宮城県仙台市宮城野区岩切入山
【別名】高森城
【築城主】留守氏
【歴史】南北朝時代に留守氏により築城されました。陸奥国の国府多賀城が隣接、七北田川や奥大道の交差する交通の要衝のため、岩城は東北最大の商業地だったようです。
足利尊氏と直義の交戦(観応の擾乱)が勃発し、岩切にも影響しました。(岩切城の戦い)
その後、留守氏が勢力を持つようになった1570年~1573年に城主である留守政景(伊達政宗の叔父)が利府城に移城すると、岩切城は廃城したようです。
【説明】広い領域の中に、数段の曲輪が造る複雑な地形で、沢が深くまさに自然の要害です。また、保存状態が良いことから、国の史跡に指定されています。
こちらも桜の名所となっているので、お花見の季節には桜が満開になります。
仙台方面の高層ビルから利府方面までも広く眺望することができます。城主は、伊達政宗の住む青葉城方面をここから眺めていたのでしょう。
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