土曜日は午前中だらだらと過ごしてしまいお昼からの行動となる、最近嫁が歴史にハマっていて山形の山形城跡を見たいということになり笹谷インターまで下道で移動。
途中、蕃山の登山口のビオトーブに寄る事にした、目的は福寿草!毎年ここの福寿草を見て春になったことを実感する。登山口に着くと天気も良かったこともあり10台ほどの車が停車してあった、福寿草はまだ咲き始めであったが綺麗に咲いていた。
一眼レフのレンズをとっかえひっかえ撮影していると、午前中に蕃山へ登ったハイカーさんが続々と下りてくる、登り始めはまだ咲いていなかったようで福寿草の撮影会となる(笑)、みな里山の春の訪れに顔も自然と笑顔になっていた。
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あまり長い時間寄り道もしていられないので早々に切り上げ山形へ、私はあまり歴史には興味が無く学校の歴史の授業中は偉人の写真へいたずら書きやノートの隅に写真の模写をして時間を潰すような子供でした、模写の出来が良すぎて先生に褒められたことも。ただ嫁にくっついて歩いていると城跡の石積みの造形美や古き物への興味が沸くようになってきた気がします、中でも刀や鎧の展示物はやはり男のロマンがくすぐられます。
山形城
おおよその城郭構造の基礎は、最上義光の時代につくられ、鳥居忠政の時代に現在の形に整えられたものである。江戸時代には山形藩の政庁が置かれた。現在は、そのほとんどが失われ、二の丸跡が霞城公園として残されている。建造物では、大手南門が、市内の万松寺山門として移築され現存する。また、市内八日町宝光院の本堂は、御殿の建物を移築したものといわれている(県指定文化財)。
山形市は、2033年をめどに本丸全体の発掘調査を完了させるとともに、本丸北枡形の復元を完了することを計画している。2012年度末現在、本丸は一文字門及び御殿等の写真・図面などの史料が発見されていないことにより、大型建築物の復元のめどは立っていないが、本丸大手門の高麗門及び土塀は時代考証に基づき復元が行われている。2013年の発掘調査は本丸西側濠の遺構が中心となり、本丸濠南西部に関しては本丸土塁構築が出来る状態となっている。2013年の発掘調査では三の丸跡から奈良・平安時代のものと推定される竪穴住居跡6棟が発見され、城下町は古代から存在した集落を基盤として形成されたのではないかとみられている。
山形城は桜の名所とも知られており、桜が咲く時期に再訪したいと思っています、桜とお城って似合うんですよね~、楽しみがまた増えました。
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