前回の記事ミュージアムパーク茨城県自然博物館はコスパがとんでもなく良い!の続きになりますが千葉県野田市にある関宿城を観てきました。

関宿城

室町時代に簗田満助(やなだ みつすけ)または簗田成助(やなだ しげすけ)によって築かれたとされ、関宿簗田家の居城になったと伝わっている。江戸時代には関宿藩の藩庁が置かれていました。

出典:wikipedia

戦国時代

関東の中心部における最重要拠点であった関宿城。かの北条氏康(ほうじょう うじやす)は「この地を抑えるという事は、一国を獲得する事と同じである」と言ったそうな

戦国時代末期には、北条方と上杉方の間で激しい争奪戦が繰り広げられた、これを関宿合戦という。北条氏康と息子である氏政(うじまさ)・氏照(うじてる)が、上杉謙信(うえすぎけんしん)と佐竹義重(さたけよししげ)の援助を受けた簗田晴助(やなだはるすけ)の守る関宿城を、3度に渡り攻撃した。最終的には北条氏がこれを制し、北関東進出の拠点とした。

出典:wikipedia

建造の歴史

1457年 簗田成助(やなだ しげすけ)が下総国関宿に築城した

1671年 天守破損、御三階櫓を江戸城富士見櫓を模して建築

1742年 寛保二年江戸洪水により、関宿城下に甚大な被害をもたらし、城郭も大破

1872年 廃城決定

1995年  千葉県立関宿城博物館として再建、再建された場所は実際に建っていた場所とは異なる、城跡は別な所にある。

出典:wikipedia

現在の関宿城

千葉県立関宿城博物館のシンボル的な天守閣は残っている古記録に基づいてできるかぎり忠実に外観を再現しようとしたもので、1995年11月に開館した。とはいえ、残されていた資料があまりに少なすぎたため再現の正確性には疑問が残り、また藩政時代の天守の位置ともかなり違っているため、一般的には模擬天守とみなされている

関宿城

関宿城

関宿城
天守閣からの景色、つくば山が薄ら見える

関宿城

関宿城

関宿城
この城の左側にくっきり富士山が見えるはずなのだが今回は霞んで見えなかった、とても残念に思う、日の入りのオレンジ色に焼けた関宿城と富士山も見てみたい、200㎜で撮ったものをトリミングしたのものです、次回行く事があれば300㎜は欲しい所です。

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関宿城
こちらが本来関宿城が建っていたとされる城址である、この時期は草が生い茂っており草刈りの途中のようだった

関宿城と富士の写真を撮りたくて訪問したが残念ながら富士が見る事は出来なかった、たぶん見えるのは1年を通しても少ないのではなかろうか?歴史にはあまり期待しないで訪れたのだが中でも江戸時代に行われた利根川東遷事業が面白かった、簡単に言うと利根川の流れを東に変える工事です、なぜこのような事が必要だったのか大きく4つの理由があると考えられています。

  1. 幕府本拠である江戸、および利根川流域の水害対策としての治水目的
  2. 利根川流域の新田開発促進
  3. 街道や水運整備による流通路確保(後述)
  4. 仙台藩伊達氏を仮想敵国として江戸城防衛のため大外堀に利根川を利用する軍事目的

出典:wikipedia

伊達氏が仮想敵国になっていたとは、驚きました。目的の一つに軍事的要素もあったのですね。なんとも昔の事を知るのは面白い。

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