旅の始まり

今回の九州旅行は綺麗な景色を満喫ツアーです!

まずは長崎編って事で仙台から飛行機で福岡へ、移動はすべてレンタカーです。最初公共の乗り物も考えたんですが自由が効く車移動にしました、選んだ車はフィットのハイブリッドです、今回の旅行で給油は二回で済みました、一回目は1/3減ったくらいで給油、二回目はレンタカーを返す直前に半分減ったくらいで給油して満タン返しだったので合計で約満タン一回分で十分だった計算になります、ハイブリッドフィット恐るべし燃費。二日間の総走行距離は約750Km位だったと思われる。ただハイブリットフィットは運転する楽しさはまったく感じられなく、いつもMTのジムニーに乗っている私にはストレスマッハでした、生涯ハイブリットの車に乗ることはないと思った4日間でした。

出島とは

福岡から長崎へ移動の途中に出島を見学、出島って思っていたより狭い、出島に寄るならもう少し勉強してくれば良かったと後悔、正直感動が薄かった。

出島

出島

出島

出島とは1634年江戸幕府の鎖国政策の一環として長崎に築造された人工島である。扇型になっており面積は3969坪(約1.5ヘクタール)。1636年から1639年まで対ポルトガル貿易、1641年から1859年まで対オランダ貿易が行われた。出島全体は大正11年(1922)10月12日、「出島和蘭商館跡」として国の史跡に指定されている。

現在は、高度経済成長期以降の埋め立て工事とビル建設により、出島の周囲は全て陸地になっている。

出典:wikipedia出島

その後、時間もあるので長崎の街内をウロウロと散歩してみる、これはどこの観光地に行っても言える事だが外国人観光客が多い、特に多いのが噂になっている中国人観光客だ、ほんとに多い!どこに行っても確実にいる中華街に至ってはほぼ中国人の溜まり場で日本語が聞こえてこない(笑)また声が高く大声でしゃべるのですごく目立つ。これには最終日まで悩まされた。長崎の街は路面電車が走っており普通に車道を電車が走っている、横断歩道だけの場所も多く車で走っていると急に人が出てきたりビックリすることも多々あった、そのせいかクラクションがそこらじゅうで鳴っている(笑)

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ホテルにっしょうかんと稲佐山から見る日本三大夜景

出島を後にし1日目の宿泊予定のにっしょうかんへ、ここを選んだ理由は夜景が綺麗に見える事。大浴場からも夜景が見えるのでまさに夜景を見る旅館としては最高なのです。

こちらが部屋から見える景色です、夜になるのが楽しみである!今思えばこの時点で空気が少し霞んでモヤっとしていた。
にっしょうかんからの景色

にっしょうかんからの景色

日本三大夜景とは

函館、神戸、長崎の夜景の事です。

他にも新日本三大夜景なんてものもあり、こちらは夜景倶楽部の有志によって組織された「新日本三大夜景・夜景100選事務局」が選定した次の3つの場所の事です。

  • 皿倉山からの福岡県北九州市の夜景
  • 若草山からの奈良県奈良市の夜景
  • 山梨県笛吹川フルーツ公園からの山梨県甲府盆地の夜景

因みに長崎の夜景は世界三大夜景にも選ばれており、これは民間団体が選んだもので日本の一般社団法人・夜景観光コンベンションビューローが、同法人が認定を行っている夜景鑑定士3500人へのアンケートを元に、2012年10月に長崎市で行われた「夜景サミット2012 in 長崎」において、長崎・香港・モナコを「世界新三大夜景」と認定したものになります。上記の認定の発表を伝えたのは香港だけだったのとか、、、まぁなんというか、世界の夜景で綺麗な場所はもっとあるような気もしないでもないですが、一応認定はされているようです。

出典:wikipedia世界三大夜景新日本三大夜景

それではこちらがホテルから見えた夜景になります、夕方の写真とほぼ同じ構図で撮っているので見比べて下さいまし、少しモヤっとしていますがどうしても長秒露出で撮るとモヤっとしてしまいます、今度現像処理でなんとかできないか調整してみます。まぁ派手にしなければ抑えられるのですが派手な夜景が好みなのでこうなります(笑)

にっしょうかんからの長崎夜景

にっしょうかんからの長崎夜景

 

にっしょうかんからの長崎夜景

次は向かいの稲佐山へ車で移動し山の上からの撮影を行いました、稲佐山の夜景が長崎の夜景スポットとしてはメジャーなんですよね、土日は中腹まで車で行って無料のシャトルバスで送迎になります、この日は土曜日だったので多くの人が稲佐山の展望台に集まりました。

稲佐山からの長崎夜景

稲佐山からの長崎夜景

いや~綺麗ですね~!実際はこれほど光っていません、もっと暗い感じになります、写真の夜景はほとんどが肉眼で見るより明るく撮影されいてます、なのでパンフレットなどを見てきた人の中にはがっかりする人もいるんですよね~、この日も私の近くで初老の男性がガイドさんにもっと綺麗なものだと思っていた実際には違うとぼやいていました。

因みに函館の夜景はこんな感じでした、こちらの方が空気が澄んでいるので長秒露出でも白いモヤは出ていません、画面をクリックして大きい画面の方が綺麗に見れるので好きな人は大画面で見て下さい。ちょっとフリンジ出てますがスル―してください(笑)

函館の夜景

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軍艦島上陸

翌日は朝食を手早く済ませ、軍艦島クルーズへ。軍艦島クルーズは長崎港から出航して高島を経由して軍艦島へ上陸し長崎湾に帰ってくるというコースです、出発は9時10分、それまでに受付を済ませなければならない、長崎湾に戻ってくるのが12時30分。受付を済ませた後トイレに行きたくなったので船の中で苦しい思いをしないように出航前に済ませる事にした、場所を受け付けの方に聞いたところ今開いているのは少し遠いけどドラゴンプロムナードの奥にあると聞かされ出航時間も近いので走って向かった、これがほんとに遠い、、、一緒にトイレに向かったおじさんも息切れしながらトイレに向かう二人でトイレ遠いっすね~なんて励まし合って走る(笑)、手早く済ませ帰りも走る、途中嫁からまだかの電話をもらう、なにやら船員さんが急かしているらしい、汗だくで船に到着、少し遅れて一緒に走ったおじさんも到着、船が動き出す時計をみると9時5分、、、、予定より早く出発してるじゃないの!?そこは予定通り9時10分まで待ちましょうよと、、、。とりあえず無事出発?

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経由地の高島到着!ここでガイドさんが軍艦島の模型を使って簡単な説明をしてくれて、軍艦島の予備知識を頭に入れるわけです、このガイドさんのしゃべり方がまた聞く人を魅了する語り方で頭にすっと入ってくる、やはりプロの話し手は違う。ここで軍艦島の説明を簡単にしてみます。

軍艦島の歴史

日本の近代文化を支えた端島(軍艦島)1810年(文化7年)ごろ、端島(通称:軍艦島)で石炭を発見。
それから80年ほど経過した1890年(明治23年)、三菱社が島全体と鉱区の権利を買い取り、本格的に石炭の発掘が開始されました。

端島炭鉱の石炭はとても良質で、隣接する高島炭鉱とともに日本の近代化を支えてきました。石炭出炭量の増加に比例するように島は急成長を遂げ、1960年(昭和35年)には5,267人が住んでいました。当時の人口密度はなんと世界一。東京人口密度の9倍以上とも言われるほどでした。

島内には、病院や学校・寺院・神社・派出所や映画館・理髪店などが立ち並び、島の施設だけで何不自由のない完全な都市として機能していた。しかし島の半分以上は鉱場。その残りの土地に病院や学校・寺院・神社・派出所や映画館・理髪店などが立ち並んでいたため、建物と建物の間はとても狭く、島全体が家族のように仲良く暮らしていました。

繁栄を極めた軍艦島でしたが、、主要エネルギーであった石炭がその座を石油へと移ることにより衰退の一途をたどります。1974年1月15日に閉山、この年の4月20日に全ての住民が島から離れ、軍艦島は無人島となりました。

出典:軍艦島上陸クルーズ

高島で予備知識、トイレ休憩を済ませた後は軍艦島に向けて出発です、軍艦島が見えるとみんな写真を撮りたくて場所取り合戦になります、隙間からなんとか撮る事ができました。上陸した写真まで一気にどうぞ。

高島より出発

軍艦島(端島)

軍艦島

軍艦島

軍艦島

軍艦島

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軍艦島

軍艦島

軍艦島

軍艦島

軍艦島

軍艦島

さらば軍艦島

 

軍艦島では緑がほとんど無く住民は本土から土を運び屋上緑化を実行したり、火葬場や墓地が無く子供たちが遊ぶ公園も無い、人口密度が東京の9倍以上ですから、いかにこの狭い島で生活することが大変だったかを知る事ができた。この軍艦島は老朽化が進んでおり上陸が出来なくなる日は遠くないだろうと言われています、しかも気象の関係で年間100日ほどしか上陸が出来ないとの事、今回運良く上陸できたことを嬉しく思います。他にも写真がたくさんあるのですがとりあえず報告写真はこんな感じです。

次回は

ちょこっと大分、ちょこっと宮崎、熊本編で湯布院、鍋ヶ滝、高千穂峡、御輿来海岸、熊本城の写真を紹介します。

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